金沢箔は、伝統的工芸材料です。

金箔は、国から指定されている数少ない「伝統的工芸材料」です。
伝統工芸の指定は、最終商品としての「工芸品」がほとんどで、材料として指定されているのは、金箔の他に、形紙や挽物木地など3〜4種類のわずかな産地に限られます。
故に、金箔は材料として商品を引き立たせる役割に徹し、付加価値を高める用途に用いられます。
丹念に仕込まれた手漉きの和紙に挟まれ、幾度の工程を箔打ち職人によって打ち上げられた金箔は、その独特の風合いや神秘的な輝きにおいて、様々な付加価値向上の「材料」として使われております。


金沢箔は、およそ1万分の1ミリ〜3ミリの厚さです。

金箔づくりは、純金に微量の銀と銅を合金し、多くの工程を経て金属の極限まで薄く延ばします。
その厚さは、1万分の1ミリ〜3ミリとも言われております。
よって、そこまで薄いと人の手では触れません。金箔を扱うには、通常竹を加工した箸が使われます。
そして、薄いが故に、うるし等の上に張り合わされた時の仕上がりは、他の素材では表現できない風合いとなってその美しさを醸し出します。


金沢箔の歴史は、約400年前にさかのぼります。

金箔自体は、白鳳・天平の文化を頂点とする古代国家の繁栄が多量の金で飾られていたことから、かなり以前より作られていたと推測されています。
古くは東大寺や唐招提寺など飛鳥・天平文化を彩る寺院建築や仏像彫刻に、更には平安時代の中尊寺金色堂や室町前期の北山文化を代表する金閣寺、桃山時代の屏風やふすま絵等、金箔は時代の中で、それぞれの場面で芸術性を高めるための重要な役割を果たしてきました。
そして、金沢においては約400年前の文禄2年、前田利家が豊臣秀吉の朝鮮の役の陣中より、国元に金・銀箔の製造を命じたのが始まりとされております。
元禄9年、幕府は江戸に箔座を設け、全国の箔の生産・販売を統制し、箔座が廃止された後には金座にその権限を移し、金・銀箔の生産は江戸、京都の箔屋以外には許されなくなりました。
文化5年、焼失した金沢城二の丸御殿を再興するために、多量の金箔が必要となり、京都より熟練した箔打ち職人が呼び寄せられました。
これを契機に金沢の町人の間に製箔業を確立しようという動きがおこります。
その後いろいろな時代の流はありましたが、最終的には江戸箔が途絶えたことで、金沢箔の地位が高まりました。
そして、明治・大正・昭和・平成と、箔の製造に適した気候、良い水質に恵まれた金沢の地で今日まで「金沢箔」の製造が受け継がれております。


魔除けとして

古来より金は、肌身につけていると魔除けに効果があると言われ、又東西南北いずれからも福を招く(招福厄除)と言われております。
古くからの風習として、家を新築する際に地中に金を埋めたり、トイレの修復時に金箔を入れたりする風習が根強く残っているのも、そうした謂れからと思われます。


効能として

古代中国の錬丹術の道士が調整したといわれる黄金の妙薬に金丹があります。この金丹を服すことによって、不老不死が得られると信じられていました。中国の漢方高貴薬に金や金箔が多く使用されていたことや、日本でも健康に良いとされて金粉入りのお酒などが好まれるのも、金丹からその効能を受け継いだと考えられます。
現在、石鹸やローション等に金粉を混ぜた化粧品も販売されておりますが、これらについては、金の発するイオンと人間の肌から発せられるイオンとの作用が肌に良いと言われていることによります。

価値として

有事の際の金の価値観は、世界共通のものです。
普遍の価値、万国共通の尺度を持つ唯一の物質です。
ヨーロッパでは、子供が産まれると祖父が1時間以内に金貨を握らせるという風習があります。
こうするとその子は、一生豊かに暮らせるというもので、侵略や戦争によって土地や財産を失ったり、通貨が一切通用しなくなったという経験から、金をよりどころとする習慣が生まれたものです。

極楽浄土の表れとして

真宗系のお仏壇に金箔が貼られているのは、仏様にもそうであるように、「極楽浄土」そのもののイメージが金であるということによります。普遍である金は、この世で最高のものであり、最高の色であるという認識から今日まで伝えられてきております。

産業利用として

 金は、高価な金属であるにも関わらず多くの産業、医学に欠かせない役割も果たしています。金を合金すると非常に硬くなり、永遠に酸化せず、人体に無害であることから金歯として使用されたり、電気抵抗が低く、わずかな電流でも通し、腐食や錆に侵されず、安定性が高いことからICなどの半導体にも活用されています。又、熱を反射する性質から航空機や宇宙船などにも使われています。